構造及び形式

 

制作年代

三間一戸楼門

瓦葺入母屋造

宝永元年(1704−297年前)

指定申請の事由並びに由来、伝説

 

 宝永元年8月(1704−284年前建立された。高さ十メートル五十三センチの三間一戸の楼門で、両脇間は板を  張り壁体とし、前面と通路側に金剛柵を設けて、中に仁王(増長天・持国天)を配 している。
 
主柱4本と控柱8本(八脚門)で構成されて全てが丸柱。通 路に面した主柱(2 本)以外の10本は、柱脚・柱頭に禅宗様粽(ちまき)、礎盤は木製である。先の 主柱(2本)のみ柱頭に粽、切石の礎石に建つ。ここに地貫様の横木を渡して浄域 との区画を意図している。上層部の柱は10本の丸柱で柱頭に粽。

 二階入口は、二折り四枚の観音開き唐戸で一部に透かし彫り。
  開閉は藁座に差し込まれる。両脇間には花頭窓が設けられ内部の障子(両引き)で明かり取りとなっ ている。両側面・前面の間は二枚の引き違い板棧戸。

 二階に縁を巡らし、縁は木鼻上に二手先組に縁葛(えんかずら)が廻る。擬宝珠  高欄を廻して四隅の擬宝珠柱の柱頭は、唐様逆蓮頭で禅宗様式の特徴である。
 蟇股は、台輪上で、通路両面上に各々2個、左右脇間に各1個、左右側面に各々 1個、合計12個が設けられ、その各々に干支が精巧に彫刻されている。裏側(参道から見て)通 路上の右側から、右廻りで順次干支順に配されている。通路上の、 巳・午・子・亥は透かし蟇股である。
 両脇間冠木上には、篭彫り雲水龍が嵌め込まれている。

 建築様式は、和様と唐様の折衷様式であるが、最大の特徴は、県内唯一の本格的 扇垂木(おおぎだるき)で雄大さを見せ、台輪・皿斗・詰組・隅木等の禅宗様式を 随所に用いて、均整も良くとれ、豪華で優れた建築意匠的構成と、卓越した技法が 認められる。

 また、当寺第十一世曲外嶺松和尚の代に、山門建立のため、門中寺院ならびに各村々より建立資金を募った経緯を記した「山門建立化簿」が現存している。これに よれば、建築部材の木鼻・縁板・蟇股・組物・材木等々の指定寄進によって、当時 の建築費の概要を知ることが可能である。

 
以上の様に、鳳仙寺山門は、格調の高い禅宗様式であり、均整も良くとれ雄大に大変豪華で優れた建築意匠的構成を見せ、桐生市域に類を見ない貴重な建造物であります。

 


    参考

 ◇山額は「桐生山」で、書家の左玄龍は江戸の能書家・佐々木玄龍(亨保7年没― 七十四歳)と考えられる。
 ◇二階内部には、広目・多聞天。弥勒観音。吉祥天。釈迦牟尼如来像。阿難陀。大迦葉。十六羅漢等が安置されていたが、明治維新期の廃仏毀 釈の難を逃れるために、本堂内(一部は天井裏)に避難され、現在は十六羅漢等一部が本堂に、他は山門二階に遷座されている。
  十六羅漢像は慶友尊者を含めた十七躰であり、これら諸像は、延亨四年三月(1747―   年前)町屋(現天神町)の長沢三郎兵衛が寄進し、その後明治26年、板鼻の仏師法橋祐慶が修理している。
  この時、釈迦牟尼如来、阿難陀、大迦葉、弥勒観音、吉祥天、持国、増長、広目、多聞の諸像も修理された。禅宗様釈迦三尊は大変珍しい。
  各尊像は彫刻としても細部の表情にいたるまで、見事な写実で、確かな木仏師・彩 色師によって造像彩色されたものと考えられる。
第二六世蘭州朴道大和尚
明治21年6月に楼門を茅葺き屋根から瓦屋根に改築致しました。今も、写真の棟木は楼門天井裏にあります。

注)山門建立化簿に見られる十七世黙外寂曜の添付書、曲外和尚の鳳仙寺住職在任期間(1675−1712年)から見ても,宝永年間(1704−1712年)の誤りと考えられる。

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