指定申請の事由並びに由来、伝説
宝永元年8月(1704−284年前建立された。高さ十メートル五十三センチの三間一戸の楼門で、両脇間は板を
張り壁体とし、前面と通路側に金剛柵を設けて、中に仁王(増長天・持国天)を配
している。
主柱4本と控柱8本(八脚門)で構成されて全てが丸柱。通
路に面した主柱(2 本)以外の10本は、柱脚・柱頭に禅宗様粽(ちまき)、礎盤は木製である。先の
主柱(2本)のみ柱頭に粽、切石の礎石に建つ。ここに地貫様の横木を渡して浄域
との区画を意図している。上層部の柱は10本の丸柱で柱頭に粽。
二階入口は、二折り四枚の観音開き唐戸で一部に透かし彫り。
開閉は藁座に差し込まれる。両脇間には花頭窓が設けられ内部の障子(両引き)で明かり取りとなっ
ている。両側面・前面の間は二枚の引き違い板棧戸。
二階に縁を巡らし、縁は木鼻上に二手先組に縁葛(えんかずら)が廻る。擬宝珠
高欄を廻して四隅の擬宝珠柱の柱頭は、唐様逆蓮頭で禅宗様式の特徴である。
蟇股は、台輪上で、通路両面上に各々2個、左右脇間に各1個、左右側面に各々
1個、合計12個が設けられ、その各々に干支が精巧に彫刻されている。裏側(参道から見て)通
路上の右側から、右廻りで順次干支順に配されている。通路上の、 巳・午・子・亥は透かし蟇股である。
両脇間冠木上には、篭彫り雲水龍が嵌め込まれている。
建築様式は、和様と唐様の折衷様式であるが、最大の特徴は、県内唯一の本格的
扇垂木(おおぎだるき)で雄大さを見せ、台輪・皿斗・詰組・隅木等の禅宗様式を
随所に用いて、均整も良くとれ、豪華で優れた建築意匠的構成と、卓越した技法が
認められる。
また、当寺第十一世曲外嶺松和尚の代に、山門建立のため、門中寺院ならびに各村々より建立資金を募った経緯を記した「山門建立化簿」が現存している。これに
よれば、建築部材の木鼻・縁板・蟇股・組物・材木等々の指定寄進によって、当時
の建築費の概要を知ることが可能である。

以上の様に、鳳仙寺山門は、格調の高い禅宗様式であり、均整も良くとれ雄大に大変豪華で優れた建築意匠的構成を見せ、桐生市域に類を見ない貴重な建造物であります。
参考
◇山額は「桐生山」で、書家の佐玄龍は江戸の能書家・佐々木玄龍(享保7年没―
七十三歳)と考えられる。
◇二階内部には、広目・多聞天。弥勒観音。吉祥天。釈迦牟尼如来像。阿難陀。大迦葉。十六羅漢等が安置されていたが、明治維新期の廃仏毀
釈の難を逃れるために、本堂内(一部は天井裏)に避難され、現在は十六羅漢等一部が本堂に、他は山門二階に遷座されている。
十六羅漢像は慶友尊者を含めた十七躰であり、これら諸像は、延亨四年三月(1747― 年前)町屋(現天神町)の長沢三郎兵衛が寄進し、その後明治26年、板鼻の仏師法橋祐慶が修理している。
この時、釈迦牟尼如来、阿難陀、大迦葉、弥勒観音、吉祥天、持国、増長、広目、多聞の諸像も修理された。禅宗様釈迦三尊は大変珍しい。
各尊像は彫刻としても細部の表情にいたるまで、見事な写実で、確かな木仏師・彩
色師によって造像彩色されたものと考えられる。
第二六世蘭州朴道大和尚明治21年6月に楼門を茅葺き屋根から瓦屋根に改築致しました。今も、写真の棟木は楼門天井裏にあります。
注)山門建立化簿に見られる十七世黙外寂曜の添付書、曲外和尚の鳳仙寺住職在任期間(1675−1712年)から見ても,宝永年間(1704−1712年)の誤りと考えられる。
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