輪藏の中で教典を守護される双林大士

 桐生市内随一といわれる見事な山門手前の石段脇に見られる白壁の瀟洒(しょうしゃ)な建物。それか昭和五十四年(一九七九)八月十日に桐生市の重要文化財に指定された「輪蔵」です。
 この膨大な銃眼一切経をあたかも守護するかのように、経架中央部に輪蔵の中で経典を守護される双林大士、二人の童子を従える大士像が見られます。その像が双林大士です。
 双林大士(四九七年〜五六九年)は、民衆の教化に精力的に尽くされた方で、在俗の仏教信者でした。出身は、中国の烏傷(ウショウ・現在の浙江省鳥傷〈セッコウショウウショウ)で、名を傅翁(フキュウ)といいました。
 双林大士は、また東陽大士とも呼ばれました。大士の民衆の教化の姿勢は、大変熱意のこもったもので、民衆の心に響く教化の姿勢から「弥勒の下生(みろくのげしょう)」と称されたほどでした。
 『下生』とは「極楽往生する際の一番下の位」ではありますが、在俗の仏教信者が、これまでに称されるということは、すばらしいことで、大士の活動ぶりを称える栄誉ある称号といえましょう。
 「弥勒の下生」と称されるほど熱心に、民衆教化に精励された双林大士ですから、双林大士に贈られた「大士」の称号は、一般に言われる大士の概念とは異なり、『菩薩』を意味す‐‐‐る立派な称号です。.
 民衆の教化に努められた双林大士が、膨大な銃眼一切経の納められた輪蔵の中沢にお立ちになっておられる・・・ このことは、あえて説明を加える必要かないと思います。  双林大士の時代は、日本の飛鳥時代にあたります。その日本史には、仏教伝来(五三八年)、百済から医・易・暦などが伝わる(五五〇年)、任那の日本府が、新羅に滅ぼされる(五六二)といった出来事が記録されています。
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