2月15日 涅槃会を行いました

鳳仙婦人会主催の涅槃会を行いました。写経の後 涅槃団子とおしるこをいただきました。

 

大いなる入滅

お釈迦さまは、八十歳になって、生れ故郷へ向かう「最後の旅」の途中で、体調を崩し、クシナガラの跋提河のほとり、沙羅双樹のもとで亡くなられました。その「大いなる入滅」を迎える前に2つのエピソ—ドがあります。1つは、最後の旅の途中で、鍛冶屋の息子である純陀(チュンダ)が差し上げた食事のキノコに中毒され、お釈迦さまの容体がにわかに悪化し’、それを知った純陀は心配して、ずっとお釈迦さま一行についていくのです。

二つ目は、お釈迦さまのもとへ、須跋陀(スバツダ) という異教の行者が教えを乞いに来ました。弟子たちは、お釈迦さまをわずらわしてはならぬと思って断ると、お釈迦さまは、「道を聞きに来た人を拒んではなりません」といい、八正道を説きました。これが最後の法話となりました。

八正道の教えとは、人間が正しい生き方をする ための八つの方法のことです。①正見(自己中心 的な見方をせずに中道の見方をすること)②正思 (自己本位にかたよらず物事を考えること)③正語 (つねに真理に合った言葉使いをすること)④正行 (仏の戒めにかなった正しい行いをすること)⑤正命(衣食住その他の生活財を正しく求めること)⑥正精進(仕事に励み、怠りや脇道にそれたりしないこと)⑦正念(仏と同じような正しい心を持つこと)⑧正定(心を正しい状態に定めること)-以上の言葉に要約されています。そして、クシナガラという町の沙羅の木の間に床を用意され、頭を北にし、右脇を下にした形で、お亡くなりになりました。

沙羅双樹

宝台をかこんで計八本の樹木が描かれていますが、これが沙羅双樹です。双樹といわれるように 2本ずつ描くのが決まりです。この樹は常緑樹なのですが、お釈迦さまの死を嘆いて、突然白く変色したというので、この画でも向かって左側の2本は枯葉に、ただし悲しみの白い花が咲いたように描かれています。向かって右側4本はまだ常緑状態で、花が白く描かれています。沙羅は日本においては夏椿に相当するものです。向かって左側の2本の葉は枯れています。これは、お釈迦さまが入滅されたことを人間や動物だけでなく、植物も悲しんだことを示しています。1方、右側の4本は青々と葉を広げ花を咲かせています。お釈迦さまが入滅されてもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を あらわす」という『平家物語』の名文句は、この光景にもとづいています。葬儀の際、祭壇に飾られる 四華花は、この沙羅双樹の故事が元になっています。

満月

画面の天頂部の空には、満月が描かれています。 お釈迦さまの入滅は2月15日ですから、月の満ちかけでいうと満月なのです。お釈迦さまは「十五日の月は、満々として少しも欠けたところがないように、仏陀も大涅槃に入って少しの欠滅もない。この意味を表わすために十五日を入滅の日に選んだのである」とおっしやつています。

 

摩耶夫人

画面の右上部に、雲に乗ってこの場へ向かっている一団があります。先頭の僧侶の導きで、両手を目に押し当てた摩耶夫人が描かれています。見ると、扇を持った天女が付き添っています。この天女を 「勝音天子」とする説もあります。摩耶夫人はお釈迦さまの生母で、お釈迦さまを出産して七日後に亡くなり、忉利天という所に生れかわっておられましたが、お釈迦さまの死を聞いて、忉利天からかけつけて来ようとしておられるところです。先導している僧侶は、お釈迦さまの十大弟子のひとり阿那律尊者です。一説によると、駆けつけた摩耶夫人は、雲の上からお釈迦さまめがけて薬を投げました。しかし、この薬袋は木に引っかかってしまいます。現在「投薬する」とか「投与する」という医学用語は、この摩耶夫人の我が子の病気をなんとしても治したい、母親の深い慈愛や真心に由来しています。